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神戸市中央区にて「古流空手、古流柔術」を指導をしている【律芯館】のブログです。 「歴史ある武術を稽古することで得られる心身の洞察力によって、 生き方を深め、自分だけでなく大切な人や周りの人も守れる強さを身に付けること。もし暗い闇の中で何かに怯え苦しむ人がいれば、武術がそこに光を灯せる存在になればという信念に基づいて稽古.指導を行っています」

【難しい、という言葉について】

律芯館武術コラムvo17

【難しい、という言葉について】


師匠の元で空手の稽古をしていた頃、それまでに覚えた競技空手とは、余りにも質の違う空手に、難しい、という言葉が口癖になりかけた。

そんなある時 、先生から

「今後一切その言葉を口にするな」と叱られた。


何故出来ないのか?


「難しい」からというのは、「難しい」せいにしてるだけだという風に言われた。


確かに自分の責任だと思わず、「難しい」からと技のせいにしだしたら、頭が回らなくなる。


出来ないのは、自分の問題なのだから。

☆★

僕が先生との武術の稽古を通して学んだことは、単なる空手技術だけではなかった。


何かのせいにしないこと、指一ミリ動かすのにも責任を持つこと。

いついかなる時であっても、そのように生きていくようにと、指導された。

稽古中、

「その手に根拠はあるのか?」

「何故そこに構えた? 」

「今のそれは、何立ちだ?」

と何時間もぶっ通しの稽古の中で聞かれては、何度も意識が飛んで答えれないことがあった。


そこから少しづつだけど学んでいき、観察力を身に付けていった。

気が抜ける瞬間、「今」が流れていく。

「今」何をしてた?

と聞かれても思い出せない。

「頭が現実から離れていかないこととが大切だと」

空手の稽古を通して教えて貰った

先生は、指導を通じて僕に様々な角度から今の自分に疑問を持つように言われてたのだと思う。



「今まで何となく生きてきただろう。

時間を大切にしてこなかっただろう。

それで生きていると思えるか?

心ここにあらず、は技と呼ばず。

心を込めることが毎回、無意識に出来ることを技という。

一時が万時、思いあり、動けば、

生かされている。という思いより、「生きている」という実感の方が強くなっていく。

身体から心が離れている時、自分が生きていることも分からない(認識出来ない)。


武術は強い人間はやらなくていい。どうしようもない人が、どうしようもなくなった時、人並みになれるようにするのが、武術であり 、
その上で、道を歩けば、武道。となり生きる目的と一致する。」


と、それら僕が師匠から学んだ数々のメッセージは自分の空手の根底に根付いている。


自分には、先生程の人格も超越した実力もないので、そのような指導は、出来ないし、時代にも合わないだろうから全く違うスタイルでの指導だけれど、それでもこの道場で稽古してる門下生が、うちの道場は、何だかスポーツ空手や、格闘技とは違うな、と感じる部分があれば、それは僕が先生から貰った武道の本質的な部分なのだと思う。

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