【律芯館武術コラム.vo19「肺気胸と師匠との稽古。」】
僕は武術の稽古を始めて25年は経つのですが、元々身体が強いのかというとそうではなくて、もし武術をやっていなければ、相当弱く、しょっちゅう病気になって生活してただろうなという状態でした。
体質的には、生まれつき肺が弱いようで、10代、20代の頃から急に苦しくなってうずくまったり、やたらと立ちくらみがする期間が続いたりしてたのですが、病院で検査しても当時理由が分からず体質だろうと言われたので、自分で食事を工夫したり、武術の基本をゆっくりやったりなどして体力を自分なりに回復させたり、保つ術を身につけ過ごしていました。
それが30代になった時に初めて「肺気胸」という病名を知り、それになりやすい体質だったと分かりました。
ある時、余りにも体調がおかしく自力で回復出来るような状態ではなかったので、病院に行った所、喘息と言われ薬を貰いました。
しかし一向に良くならず、これは流石におかしいと思い神戸大学付属病院で検査してもらった所、レントゲンを見せられて肺が片方完全にしぼんで機能してないと知らされ、その日の内に手術をしてしばらく入院しました。
この当時僕は、師匠の元で空手の稽古に励んでいたのでしばらく稽古出来なくなることが悔しかったのを覚えています。
ただ肺気胸という病名を知ったことで、それまで度々あった原因不明の不調の理由が分かったのは良かったのですが(軽度なら安静にしていれば自然治癒される)
しかし翌年、今度は手術した方の逆側の肺が潰れ、かなり酷かったので再発も防止出来るように全身麻酔での手術を受けました。
その後、こんな風にこれからも何度も再発するなら、厳しいなと思って落ち込んでいました
この肺の病気で2度目の手術が終わった後、先生との稽古の時
『もう体が壊れ物になったのだから、これから先一生ビクビクと怯えながら過ごしなさい。』
と言われたことがあります。
一般的には、何てことを言うのだろうと思われるかもしれませんが、僕が先生からかけて頂いた言葉の中で一番優しさのこもった言葉でしたので、心に残る思い出です
僕はこの言葉を、凡人が生まれ変われるチャンスだ。それをお前は与えられたのだ、と解釈しました。
先生との稽古のやり取りから生まれた翻訳能力ですので間違っていないと、今でも思っています。
先生は、常々、空手の才能は「謙虚さ」があるかないかだけだと言ってました。
それを元気な時(調子に乗って生きてる時)は忘れてしまうから空手が上手くなれないのです。
だから「ビクビクと怯えながら過ごせ」なのです
散漫で、曖昧で、いい加減な自分の全存在をこれを機会に変えて見せろ。というエールでした
★☆
師匠の話は、言葉が強く人に誤解されることがあったのですが、僕にいつも必要なことを伝えてくれていました。
例えば注意力が散漫で失敗ばかりする人間が、注意深い人間になりたいと思った時、
「これから注意深く生きるぞー」
とどれだけ気合いを入れててもそんな風にはなれないものです。
先生のやり方だと
「自分は注意深い人間ではない」
ということを忘れないように生きてく。
という風になります
そうすれば、自然に色々なことに注意するようになっていくからです
逆に人が失敗する時は、
自分は注意深い人間ではない。
ということを忘れている時になります
先生はそれは「謙虚さがない」という風に語っていました。
空手の技、技だけでなく全ての動きに対して、これはこんなモノだろう。と思った瞬間、そこで上達は終わる。
とも稽古中に何度も言われました。
いつまでたっても上手くなれない場合、
「技を馬鹿にしたしっぺ返しがきているだけ」
と話していた先生の言葉は、今でも忘れられません。
謙虚さがない、お前もそうだ、と。
こういったやり取りは、師匠と離れ一人で稽古をするようになってから自分の生き方や稽古の指針となっていきました。
それで空手も随分変わったように思います
☆★
健康に対して、技に対して、今ここにあると思っている物事全てに対して、
当たり前だとか、これはこうだ、とか決めてかかって生きているのが自分で、それはとても謙虚ではないという。
そういうのは普通に生活をしていると、頭から飛んでしまいます
だから稽古の日々から離れないようしないとならないのだけど、これも何処まで出来るもんか不安にもなります
それでも、先生が言っていたように、強いとか弱いとかではない、空手の唯一の才能は、「謙虚であること」なら、
逆に、自分は謙虚な人間ではない。
ということを忘れてないように生きてかないとならないと思います。
普通にしてたらとても謙虚な人間ではないのだから、いい加減な生き方にならないように注意してかないとならないんだって。
そのように生きた方が、心身ともに落ち着いて、しっかりと物事に取り組んでいけると思います。