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神戸市中央区にて「古流空手、古流柔術」を指導をしている【律芯館】のブログです。 「歴史ある武術を稽古することで得られる心身の洞察力によって、 生き方を深め、自分だけでなく大切な人や周りの人も守れる強さを身に付けること。もし暗い闇の中で何かに怯え苦しむ人がいれば、武術がそこに光を灯せる存在になればという信念に基づいて稽古.指導を行っています」

「律芯館武術コラム(23) 【空手から学んだこと、「コミュニケーションって難しい、されどそれを乗り越えてこその口伝」】」

神戸武術研究所、門下生 研究生向けのブログです
(以下、去年にも増して顔文字が出てきますが、うちのホームページを見た人から、「おっ、重い。」(^-^;
「何か字が多い」(ノ`△´)ノ「目がいたい」(。>д<)という意見もあったので、よりポップな方向へ読みやすく。かつ内容は変えないでと工夫してくと、こんな感じになってきましたので、悪しからずあせあせ(飛び散る汗)
 

 



「律芯館武術コラム(24)

【空手から学んだこと、
「コミュニケーションって難しい、されどそれを乗り越えてこその口伝」】」




「新年明けましておめでとうございます」(o^―^o)

年末まで、鬼忙しかった植木屋さんの仕事も新年を迎えまた剪定シーズンに入るまで落ち着くので、時間のある間にまた武術コラムを書いて行くことにしました。



(*´・ω・`)b

何かテーマがないと書きにくいので、自分が空手(柔術 古武術など)から学んだことを書いていくことにしました。

(ノ`△´)ノ


それでタイトルを「コミュニケーションって難しい~、、」にしたのは、僕が最後についた武術の先生が、とても言葉のやり取りに厳しい人だったからです。


当時、僕は失言が多くて毎回指摘されていたので、

ある日の稽古の帰り道「言葉一つ間違えば首が飛ぶ。そんなことお前は考えたこともないだろう。」と、言われたことがありました。(-_-;)


昔から、いい加減で、しっかり出来ない自分。先生からしたら見てられなかったのだと思います。

そんな心で、「言葉一つで首が飛ぶ、家族が危険にさらされる」というような世界で生き受け継がれてきた侍文化を理解出来る分けがないのですが、そんな風に僕自身が思えるようになるまでかなり時間がかかりました。

★☆

ところで去年何の番組か忘れたのですが、ミュージカルなどで活躍されてる方が、素人の人に歌が上手くなる方法を聞かれた時に、「音程を外したら死ぬと思えばいい」と答えるみたいな話をしていて、この人プロだな、、と思いました。(*`・ω・)ゞ

こういう一見精神論のように思われてしまうことの方が余程技術論、上達論であることが空手を続けてきてとても良く分かるようになりました。


どんな良い先生についても、こころが変わっていかなければ何十年稽古しても本質的な進歩はないように思います。逆に真剣に命をかけて求めれば、どんな物事でも良師になるとも思います。

真剣さが本当に備わることが、どんなジャンルにいても化ける為のキーワードだと今は思っています。

★☆

(少し技術的な話、、(*`・ω・)ゞ以下長くなります。門下生はしっかりヨンデネ!!)



例えば人間には想像力があるので、武術として空手を身に着けようとした時、中段横受一つ基本稽古するにしても「どんな中段突きが来ても必ず受ける、受けれないと死ぬ。その後自分の身近な人全員殺される」という世界に入り込んで稽古するのと、単に体の使い方を考えながら稽古するのでは天と地ほど差が出てくるものです。

(゜ロ゜)



本気でその世界に入り込んで稽古すれば、一本受ける度に、その集中力が様々なことに気づかせてくれるようになります。


またそういった稽古の中で、どんな中段突きでも、、のどんなの部分を「太い丸太のような腕をした相手の突き」とか「瞬きする間もない速さの突き」「フェイントの可能性のある突き」「メリケンサックをしてる相手の突き」「受けで崩せなければ追撃の可能性のある突き」など、具体的にして基本稽古します。



そしてそれらの突きを「受けれないと死ぬ。その後自分の身近な人全員殺される」という設定で稽古し続ければ、体の使い方はそれに対して答えを出すように変わってくる時が必ず来ます。

またそのうち、そのように稽古するのが当たり前になって、意識しなくてもそういう技になってきます。



逆に体の使い方を考えてどれだけ上手に使えるようになったと本人が思っていても、実際暴漢に襲われたら動けないと思います。そういう世界で稽古していなければ、対処する為のイメージさえ浮かばないからです。



良く稽古の時に10本の突きを一回というような稽古をしてはならないと言われました。


空手の突きの基本稽古を正しく行うためには、10本の突きを一回ではなく、一本の突きを10回です。100本稽古するなら、100本突くのではなく、一本の突きを100回稽古しなくては、ただの運動になってしまいます。



稽古で重要なのは、自分が稽古中どういう精神状態でいるか毎時チェックすることで、只の時間潰しになっていないか?ボーっとしてきてないか?自分の心身を観察出来るような状態にあるか?そもそも命を守る術という空手の世界で稽古出来ているか?



などをチェックして、また毎時チェックすることを忘れてないかもチェックして、ダメだったら、まず精神状態を作ってから稽古する。


このように稽古すると空手が化けてくるのですが、僕は先生との言葉のやり取りなどから、そのように稽古を修正していくことが出来ました。あらゆるやり取りの全てが自分にとって極意であり口伝だったのだと今は思います



先生の言葉は今でも、その力量に自分はいないので正しく理解出来ているとは思いません。ただそこから得た真剣さやこころの変化は、とても大きな力になりました。



現在は月に数回武術を指導する立場にもなっていますが、自身の稽古を進め続けて行くことを2017年も心に決めて精進していきます。




律芯館本部 及び四国の門下生の皆さん今年も共に稽古に励みましょう。




神戸武術研究所「律芯館」 
甲賀の黒猫。

★☆

(最近の稽古動画)

https://youtu.be/mKIOQ-sJqEU

https://youtu.be/cQ1pnKXLMog



取 甲賀の黒猫
受 蹴りのショーザン

(短棒術)

https://youtu.be/eknmJkmOGUA

取 甲賀の黒猫
受 上野ヒグ丸








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2016年度、律芯館本部稽古。終了 【律芯館武術コラム.vo22 セイエンチン分解 】

先日の稽古で神戸武術研究所の2016年度本部での稽古は終了しました。

今年を振り返ってみると、度々新しい門下生が増えたこともあり、長く稽古している方々もその都度最も基本中の基本とされるところに戻り、基礎を徹底して鍛練した年になりました。

今年入門された門下生も最初は体操的なところからスタートし、護身術的なことをしたり、受身や古流柔術の基礎などを一通り経験しつつ進めてきて、最終的には皆が本格的な武術の稽古に入れたように思います。




稽古最終日では、空手の受け技を用いた、瞬間的な体の変化を中心に指導しました。

律芯館の空手では、まず受け技をマスターしていくことを目的に稽古していきます。

空手の受技の基本稽古に始まり、上達に応じてその変化を学んでいくことによって、身を護る術を身に付けていきます。

組手の試合に出る人もいるので、試合用の技などを指導することもありますが、武術としての空手は、速さ、間合い、緩急、強弱、技の出てくる角度、や変化そのどれもが試合で見られるような空手の技とは違います。

スポーツの空手とは、状況、間合い、目的などが違いますので、技術的にも違いがあるからです。

私が指導を受けた先生の空手は、その迫力、スピード感、緩急強弱、軌跡、意外性、技の変化の多様性など、凄まじい技術を持っておられましたが、それは武術としての空手を追求し続けた結果の動きなのだと思っています。

先生は、シンプルに「役に立つか、立たないか、使えるか、使えないかで判断したらいい」と指導されていました。

師と離れた今でも私の空手の稽古に対する指針となっている言葉です。

2017年度も引き続き武術としての空手を指導していきます。

https://youtu.be/cQ1pnKXLMog

(律芯館稽古動画。払受の用法例、セイエンチン分解)


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【律芯館武術コラム.vo21「近年の競技空手選手の技のタイミングと追い突きについて」】

稽古中には、ビデオカメラをたてて動画を撮ることがあります。

空手や武術の稽古では、鏡を見て稽古して自身の技を修正していくのですが、この「鏡を見る」というそれ自体が技術でもあり、それが身に着くまでには中々時間がかかります。

動画に撮った自分の動きというのは、この「鏡を見る技術」が身についていない人にとっては、随分と自分の思ってるイメージとは違うものです。

しかしその誤差を認識することも良い稽古になります。

入門して1~3年の間は、自分のあらゆる動きを動画に録画して、見るということを勧めています。
その効果はやった人にしか分からない世界だと思いますが、随分稽古が進む速度を早めてくれるものです。

所で昔、侍の時代、等身大の鏡がなかった時代は、どのように自らの剣技を修正していたのでしょう。

以前、恩師がそれを教えてくれました


「人の振り見て、我が振り直せ」

という有名な言葉です。


生き方にも通用する言葉だと思います

人のダメなところが見えたら、自分はしないようにしよう。

と思って生きていたら、少しづつ心がしっかりしてくるように思います


鏡という道具があっても、他者がいても、自分を客観的に観るというのは訓練がいるものだと思います。

ですが武術の稽古を通じて、少しでも自分を観る力がつけば、自分も周りも良い方向に変わっていくはずです。

また、そのような稽古の場でありたいと、考えています。




★☆

律芯館武術コラム.vo21

【近年の競技空手選手の技のタイミングと追い突きについて、、、】



以下に紹介していく動画は、稽古中に撮った律芯館の稽古風景です。他にも時々youtubeにアップしてたりしますので、当道場に興味のあります方はご参考にしてください


https://youtu.be/zFz0OhX2uPQ

追い突きの動画シリーズの(4)です


追い突きは、空手の基本の突きの一つになります。

歩み足で一歩進んで突きます。

ですが、現在の空手競技で見られる追い突きは、主に先に突き手を出して後から足が来るという突き方で、こちらは「ノーモーション」と呼ばれているようです。


「ノーモーション」という呼び方を誰が始めたのか知りませんが、このような用語一つとっても
オリンピックの種目で「空手」が注目されるということと関係なしに、この数年の間に競技空手の世界も随分と研究が進んだように思います。


競技空手では、先に技を極めればポイントが入るというルールの全空連などは特にですが、技術的に触れれば斬れる剣術に近いように思えます、特に近年の空手選手の動きは西洋の剣術のフットワークに似てるように見えます。

海外選手の影響もあるのか、多彩な投げ技も多様されているので、見ていて当身、組打ち両方の要素があり興味深く思います。


ところで様々な技があったとしても技が極まる主なタイミングは、

「先」 、ノーモーション、予備動作を省き反応させる間なく攻撃します
「先の先、待の先、後の先」、応じ技、いわゆるカウンターの技術です、

の2つで分類することが出来、これらは昔から空手競技で良く稽古されてきました。


それに近年はもう一つのタイミングの技術が研究され足されたように思います



これも昔からある技術ですが、我々は「対々の先」と呼んでいます


このタイミングは、こちらから仕掛けて、反応を引き出して、それに対して攻撃します

ですので「変化技」と呼ぶこともあります。

「先の先」を得意とする相手に対して非常に有効な技術です

近年の空手選手は、この第3のタイミングを良く研究しているように思えます




ところで、動画の追い突きは、ノーモーション(先)の追い突きではなく、基本通りの足から来た力と腰の回転により生じた力を相手に伝える追い突きです。

これはタイミング的には、「対々の先」という第3の技術になります。

ノーモーションのように、相手に反応させずに突くのではなく、反応を引き出した後に突いています。

また追い突きの最中に相手がカウンターをして来たら、常に突くタイミングや軌道を含め変化出来るように動いています

前進力と腰の回転の力を合わせる為、威力の面でもノーモーションのような手突きとは比較になりませんhttps://youtu.be/FrOFVb-PNW4 https://youtu.be/aGjn97Rw78U

競技空手は、技の威力はそこまで重視されていないので、こういう突きを稽古する人はほとんどいませんが(競技空手の対々の先は、前手突きか(裏拳に変化させる時もある)、中段の逆突きがほとんどで、追い突きでは見られません)、自分よりも大きく力の強い相手から身を守るという武術として空手を稽古する場合、昔も今も変わらず、この「追い突き」という技は、重要な基本であり必殺技であると思います




おまけ動画、

六尺棒。身体の連動を説明するためにスローで録画してあります

https://youtu.be/tBSBwnDru7M

空手 型 ロ―ハイ初段。(代表的な泊の型です。2通りやり方がありそれぞれ技のグルーピングが違います。またもう一つのバージョンでは左右の突きの順番が逆になります(動画では右左。左右のバージョンが他にあり解釈も違う))

https://youtu.be/xHDqpBkt27M




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【律芯館武術コラム.vo20 門下生の方々へ近況報告。】




神戸市中央区にて何年も継続してきた共同武術研究サークル「深夜の稽古会」という野外稽古会から発展した神戸武術研究所【律芯館】ですが、設立当初は5名だったのが現在では本部、支部合わせ23名の団体になりました。

 
それも、ほとんどが一般部のメンバーで、現在主に30代から50代にかけて門下生が集まって稽古をしています。


HPを作った程度で宣伝らしい宣伝もせず、メンバーが増えたのは、体験稽古に来られた方の入門される割合が8割近いという数字があるからなのですが、 これは、僕個人の力ではとても無理な数字で、メンバー全員で道場の良い雰囲気を作れているという結果だと思っています。


ところで道場を設立した時、~道場という名称にはせず、研究所という風に名付けました。

これは、入門された方が、生涯を通じて学びうる価値があるような内容と場を提供すること。


それには、入門当初から全てのメンバーが単に何かを覚えに来るだけではなく、己の心と体を対象に自分自身で研究者として武術、運動、それに伴う心と体の関係性などを研究していくという風に進んでいってほしいという願いがあったのでそのようにしました。


ただ単に空手や柔術を習ってます。というだけではなく、武術を通じて、森羅万象、自然法則、時空間の仕組みを自分の心と体で解いていくこと。理解し納得していくこと。

そういうスケールで、試行錯誤、実験を繰り返している研究所で、学び、かつ自分も研究者としてそこにいるという風な武術研究所を設立当初から目指していました。


実はこれは、正直、全く理解されない可能性がありました。

道場設立間もない頃、入門された方ですぐ止められた方がいました。

また体験に来られた方が、ぐったりされて帰られもう連絡も取れないということも続きました。

(体力的にはそこまでキツイことはしていません。体操程度ですが内容が繊細で高度な技術の為に集中力は必要になります)


明らかにモチベーションが違うというのが原因でした。



それで何度か、一般道場生は、習い事教室という形で分けて、楽しく、長所を伸ばし、難しいことはせず、とそういう風にしたらいいのではないのか?

または、普通の道場のように、毎回決まった稽古を、基本→移動、ミット打ち、組手とパターン化してやっていく方がいいのではとも思いました。

ですが、そうしようと思っても、自分が歩んできた武術の稽古の質が、それをさせてくれませんでした。


ただしゃがんで、立つだけ。

腕を上げて、下ろすだけ、


武術の稽古に入る前の体操ですら、初心者の段階から、緻密な技術として稽古、指導するというスタイルは変えようがありませんでした。



常に1ミリ一度、コンマ1秒の誤差すら許されない世界で、綱渡りのような稽古をしてきた自分には、自分が武術を教えるとしたら、それ以外はない、妥協したら嘘になってしまう、それは出来ないということが良く分かりました。




それで、このやり方で門下生が増えないなら、それはそれで仕方ないと思いながら自身の稽古、指導員への指導などを主に続けていきました。





そんな中、武術に対して強いモチベーションを持って入門されたMさん。

また、最初はストレス解消の運動という感じで来ただろうにも関わらず、一回目の稽古で、ここが、どういう次元で稽古しようとしてるのかを瞬時に理解し、今でもそれについてきているSKさんの二人が入門されたことで、かなり勇気が湧きました。


日本最高峰の武術研究所を作ろう、、、


指導員である二人と共にそのように気持ちを新たにしました。


それ以降、時折訪れる体験入門の方が、どんどん入門されていったように思います。



僕が、こういう場を求めたことによって、うちで稽古する方々は楽しいことばかりではないだろうなと思います。



出来ることより、出来ないことの方が圧倒的に多く、最初のほんの基本ですら、頭も心も体もフルに使い、かつ時間もかけなければ越えれないような難問ばかりだからです。



それでも、熱い雰囲気で稽古場を維持出来ていること。

皆がそれぞれやりがいを感じて稽古していけてるのは凄いことだと感じています。


律芯館に入門される方々の理由は人それぞれです。

運動不足を解消したい、身体を強くしたいという方から、本格的に武術を学びたい、達人を目指したいという方々がいます。

その誰もがその人それぞれの目標に対して真剣に稽古し成果を出していける場でありたいそのように考えて日々指導しています


願わくば、この体術修行が、全員にとって重要な意味のある日々となるように。

僕が出会った、魔法と呼んで差し支えのない次元まで全員を連れていけるように。

と願っています




★☆
(追伸)


(1)先月から稽古に来られてる中国拳法の先生をされてる小田さんが、律芯館のことをblogに書いて下さっていました。

小田さん自身も武術修業に関して相当なキャリアがある方ですが、当道場でも非常に謙虚で研究熱心に稽古されています

http://himejiodadojo.blog.fc2.com/blog-entry-235.html

(2)律芯館香川支部。が紹介されてました 。 http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/241713/203918/85505615
一般部の稽古場が決まり現在5名の方が稽古されています(少年部は4名) 

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【律芯館武術コラム.vo19「肺気胸と師匠との稽古。」】

【律芯館武術コラム.vo19「肺気胸と師匠との稽古。」】


僕は武術の稽古を始めて25年は経つのですが、元々身体が強いのかというとそうではなくて、もし武術をやっていなければ、相当弱く、しょっちゅう病気になって生活してただろうなという状態でした。

体質的には、生まれつき肺が弱いようで、10代、20代の頃から急に苦しくなってうずくまったり、やたらと立ちくらみがする期間が続いたりしてたのですが、病院で検査しても当時理由が分からず体質だろうと言われたので、自分で食事を工夫したり、武術の基本をゆっくりやったりなどして体力を自分なりに回復させたり、保つ術を身につけ過ごしていました。



それが30代になった時に初めて「肺気胸」という病名を知り、それになりやすい体質だったと分かりました。



ある時、余りにも体調がおかしく自力で回復出来るような状態ではなかったので、病院に行った所、喘息と言われ薬を貰いました。



しかし一向に良くならず、これは流石におかしいと思い神戸大学付属病院で検査してもらった所、レントゲンを見せられて肺が片方完全にしぼんで機能してないと知らされ、その日の内に手術をしてしばらく入院しました。


この当時僕は、師匠の元で空手の稽古に励んでいたのでしばらく稽古出来なくなることが悔しかったのを覚えています。

ただ肺気胸という病名を知ったことで、それまで度々あった原因不明の不調の理由が分かったのは良かったのですが(軽度なら安静にしていれば自然治癒される)


しかし翌年、今度は手術した方の逆側の肺が潰れ、かなり酷かったので再発も防止出来るように全身麻酔での手術を受けました。

 
その後、こんな風にこれからも何度も再発するなら、厳しいなと思って落ち込んでいました


この肺の病気で2度目の手術が終わった後、先生との稽古の時


『もう体が壊れ物になったのだから、これから先一生ビクビクと怯えながら過ごしなさい。』

と言われたことがあります。


一般的には、何てことを言うのだろうと思われるかもしれませんが、僕が先生からかけて頂いた言葉の中で一番優しさのこもった言葉でしたので、心に残る思い出です


僕はこの言葉を、凡人が生まれ変われるチャンスだ。それをお前は与えられたのだ、と解釈しました。

先生との稽古のやり取りから生まれた翻訳能力ですので間違っていないと、今でも思っています。


先生は、常々、空手の才能は「謙虚さ」があるかないかだけだと言ってました。


それを元気な時(調子に乗って生きてる時)は忘れてしまうから空手が上手くなれないのです。


だから「ビクビクと怯えながら過ごせ」なのです

散漫で、曖昧で、いい加減な自分の全存在をこれを機会に変えて見せろ。というエールでした

★☆


師匠の話は、言葉が強く人に誤解されることがあったのですが、僕にいつも必要なことを伝えてくれていました。





例えば注意力が散漫で失敗ばかりする人間が、注意深い人間になりたいと思った時、

「これから注意深く生きるぞー」

とどれだけ気合いを入れててもそんな風にはなれないものです。


先生のやり方だと

「自分は注意深い人間ではない」

ということを忘れないように生きてく。

という風になります





そうすれば、自然に色々なことに注意するようになっていくからです



逆に人が失敗する時は、

自分は注意深い人間ではない。

ということを忘れている時になります



先生はそれは「謙虚さがない」という風に語っていました。





空手の技、技だけでなく全ての動きに対して、これはこんなモノだろう。と思った瞬間、そこで上達は終わる。


とも稽古中に何度も言われました。


いつまでたっても上手くなれない場合、


「技を馬鹿にしたしっぺ返しがきているだけ」

と話していた先生の言葉は、今でも忘れられません。



謙虚さがない、お前もそうだ、と。 


こういったやり取りは、師匠と離れ一人で稽古をするようになってから自分の生き方や稽古の指針となっていきました。

それで空手も随分変わったように思います

☆★


健康に対して、技に対して、今ここにあると思っている物事全てに対して、

当たり前だとか、これはこうだ、とか決めてかかって生きているのが自分で、それはとても謙虚ではないという。

そういうのは普通に生活をしていると、頭から飛んでしまいます


だから稽古の日々から離れないようしないとならないのだけど、これも何処まで出来るもんか不安にもなります



それでも、先生が言っていたように、強いとか弱いとかではない、空手の唯一の才能は、「謙虚であること」なら、


逆に、自分は謙虚な人間ではない。


ということを忘れてないように生きてかないとならないと思います。



普通にしてたらとても謙虚な人間ではないのだから、いい加減な生き方にならないように注意してかないとならないんだって。


そのように生きた方が、心身ともに落ち着いて、しっかりと物事に取り組んでいけると思います。






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